笑ってくれた 最後のひと口
「第一号の入居者なんだって」
どこか誇らしげに笑っていた
母の表情を、今でも覚えています。
母は、父を若くして亡くし、
私たち姉妹を懸命に育ててくれました。
いつも明るく、凛としていて、
舞踊や音楽を楽しむことを
忘れない人でした。
施設では
「お掃除リーダー」に任命され、
誰よりも元気に、
いきいきと過ごしていたと聞いています。
その姿に、私たちも
自然と安心できるようになっていきました。
年月が経ち、
母の認知症は少しずつ進行していきましたが、
面会に行くと、
私たちの笛や太鼓の音に
表情がやわらぎ、
ふと見せる笑顔に、
心があたたかくなる瞬間がありました。
けれど、面会制限が始まったころから、
母の元気は
少しずつ失われていきました。
発語が減り、
反応が乏しくなってきたある日、
施設の方から
訪問看護を提案されました。
母が好きだった花を見に
外に出る時間をつくってくださったり、
一緒に歌を唄ってくださったり。
そのひとつひとつが、
母の心に寄り添う
やさしいケアでした。
そんなある日、
「末期の腎がん」という診断を受けました。
私たち姉妹は迷いませんでした。
「最期の時間は、
母が一番安心できる場所で過ごしてほしい」
病院ではなく、
施設での看取りを希望しました。
スタッフの皆さんは
すぐに体制を整えてくださり、
「できる限りのことを一緒にしましょう」と
力強く支えてくれました。
母の願いは、
「娘たちと“みかんの花咲く丘”を唄い、
笛を聞くこと」。
入院を回避し、
施設で過ごす道をつくってくださった
皆さんの働きかけで、
その願いも
叶うことになりました。
最期の数日。
母の大好きだったシュークリームに
とろみをつけ、
そっと口元へ運びました。
母は、
わずかに舌を動かし、
笑ったように見えました。
それだけで、
私たちには
十分すぎるほどでした。
そしてその朝。
姉が笛を吹き、
母の大好きな曲が流れる中──
母は、
静かに旅立ちました。
葬儀のあと、
私たちは心から伝えました。
「ここを選んで、
本当によかった」と。
経済的に大変な時期もありましたが、
母が“母らしく”いられる時間を
過ごせたこと。
そのそばに、
私たちも一緒にいられたこと。
この場所は、
たしかに“もうひとつの家”でした。
本当に、ありがとうございました。



