あきらめかけた音色が、ふたたび動き出した日
「もう、大正琴は弾けないかもしれないね」
入居の見学で、
そうつぶやいた私の声は、
小さく震えていたと思います。
夫を見送り、
長くひとり暮らしをしてきました。
趣味の仲間と大正琴を弾く時間が、
私にとって何よりの楽しみで、
生きがいでした。
でも、甥や財産管理の方からは
「施設に入るなら、趣味は我慢して」と言われました。
わかっているつもりでした。
けれど、手放すにはあまりにも大きな存在。
自宅の整理をしていたとき、
ついに私は大正琴を「処分する」と決めて、
そっと部屋の隅に置いたのです。
その様子を見たスタッフの方が、
「本当にいいんですか?」と声をかけてくれました。
「もしよければ、持ってきませんか。
私たちで、弾ける環境を整えますから」
家財整理の方まで
「この大正琴は持っていった方がいい」と言ってくれて、
私ははじめて、
「あぁ、まだ弾けるかもしれない」と思えたんです。
そして入居の日。
「いつかその音色を聴かせてください」
──スタッフの言葉に、
私はそっとうなずきました。
少しずつ暮らしに慣れて、
久しぶりに大正琴に触れたとき。
懐かしい音が指先から響いたとき。
涙が出そうになるのをこらえながら、
私はまた、前を向けた気がしました。
その音色を聴いた他の入居者さんが
「心が落ち着く」と声をかけてくれて、
やがて、外のサークル仲間も来てくれることに。
施設で演奏会をやろう、と
みんなが背中を押してくれました。
本番の日。
私はとても緊張していましたが、
顔を上げると、
入居者さん、スタッフさん、
みんなが笑ってくれていて。
その空気に包まれて、
私は思い切り、音を届けることができました。
いまでは、
ほかの入居者さんに大正琴を教えることもあります。
まさか施設で、
こんな日々が待っているとは思っていませんでした。
アルファリビングは、
私にとって“人生の終わり”ではなく、
“新しい始まり”でした。




