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エピソード04母の“らしさ”を大切に、最期までそばで見守れた幸せ
母がアルファリビングにお世話になることになったのは、この施設が開設したばかりの頃でした。第一号の入居者として、母はとても意欲的に生活を楽しんでいたのを思い出します。母は若い頃に父を亡くし、私たち二人の娘を一生懸命育ててくれました。その間にも日本舞踊や音楽を楽しむことを忘れない、前向きで明るい人でした。施設では「お掃除リーダー」に任命され、スタッフの方々と一緒に館内の掃除をするほど元気に活動していた母を見て、私たちも安心して日々を過ごしていました。
しかし、入居から数年が経つにつれて、母の認知症が進行し、介助が必要な場面が増えてきました。それでも、母がスタッフの方々に見せる笑顔は変わらず、私たち家族にとっても励みとなるものでした。とりわけ、私たちが面会に訪れた際には、笛や和太鼓を演奏する中で母が穏やかな表情になるのを見て、母にとってこの施設がどれほど大切な場所になっているかを感じていました。
新型コロナウイルスによる面会制限が始まったとき、母は次第に活気を失い、発語も減り、認知症が進んでいくのを感じました。その矢先、心機能の低下が判明し、施設の方から訪問看護を導入してみないかと提案を受けました。母の健康を支え、もう一度笑顔を取り戻してほしいというスタッフの願いに共感し、訪問看護をお願いしました。外に出て好きだった花を眺めたり、歌を唄ったりする中で、少しずつ母の表情に明るさが戻ってきた時は、本当に嬉しかったです。
しかし、その矢先に母が末期の腎がんであることが分かりました。これからどうすればいいのか、施設の方々と話し合いを重ねる中で、「母が最期を迎えるときは、この施設で看取ってほしい」とお願いしました。母がここでの生活を愛し、私たち家族にとっても安心できる場所だったからです。そして、母が最期に叶えたいこととして、私たちが一緒に「みかんの花咲く丘」を唄い、笛を吹くという願いを伝えました。
その後、母は夜間に酸素濃度が低下し、病院への入院が必要となりました。しかし、私たちは母が病院で一人で最期を迎えることだけは避けたかったのです。その思いを施設長や訪問看護の管理者の方々に相談すると、すぐに主治医に掛け合ってくださり、施設での看取りの体制を整えていただけました。その対応には感謝しかありません。
最後の数日間、母の好きだったシュークリームを用意し、とろみをつけて口元に運ぶと、口を開けることも難しくなっていた母が舌を出し、わずかに笑顔を見せてくれました。その瞬間は、何よりも心が温かくなるひと時でした。そして、ある朝、姉妹揃って母のもとを訪れ、手を握りながら話しかける中、母の呼吸が次第に弱くなりました。姉が笛を取り出し、「みかんの花咲く丘」を涙ながらに演奏したとき、母は静かに息を引き取りました。
葬儀を終え、施設を訪れた際に、スタッフの方々に「この施設を選んで本当に良かった」とお伝えしました。金銭的に厳しい時期もありましたが、母が穏やかに、そして母らしく過ごせたのは、スタッフの皆さんのおかげです。私たちにとって、ここは単なる施設ではなく、家族のような場所でした。本当にありがとうございました。
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