- あなぶきの介護トップ
- あなぶきの介護の体験エピソード
- 母が大好きだった場所で、最期まで一緒にいられた日
エピソード02母が大好きだった場所で、最期まで一緒にいられた日
母がアルファリビングにお世話になることになったのは、2019年12月のことでした。ラーメン店を営む私たち家族にとって、店のすぐ隣にある施設は母を見守るのに理想的な場所でした。母の部屋は孫の住むマンションとも近く、窓を開ければ声が届く距離感。その近さが私たち家族の安心にもつながりました。
母は膝の変形がありながらも歩行器を使い、施設内を自由に行き来し、他の入居者様と笑顔で会話を交わしている姿が印象的でした。普段は家族の話をあまりしない母ですが、訪れる私たちの姿を見たスタッフの方々から「お母様はご家族にとても愛されていますね」と言われることが何度もありました。それを聞くたび、私たちの思いが母に届いていると感じ、嬉しい気持ちになりました。
2023年5月、そんな母の様子が突然変わり、食欲が急激に低下しました。「お腹がいっぱいで食べられない」と口にする母に、家族として何かできることはないかと考え、母の好きな食べ物を差し入れる日々が続きました。しかし、1週間ほど経っても状態が改善せず、検査のために入院することに。診断結果は胃がんの末期。治療は望めない状況で、ターミナルケアを受けるためにアルファリビングに戻ることが決まりました。
退院後の母はさらに食欲を失い、少量の食事でも嘔吐する日がありました。それでも施設のスタッフの皆さんは、訪問看護と連携して細やかなケアを続けてくださいました。母が少しでも快適に過ごせるよう、居室前を通るたびに声をかけてくださり、差し入れたゼリーやヨーグルトを勧めていただく姿に、家族として心強さを感じました。
母が酸素マスクを外してしまうことや食事を拒む姿に戸惑うこともありましたが、ある時、スタッフの方が「これもお母様らしいですね」と笑顔で話してくださったのを聞いて、私たち家族も自然と笑顔になることができました。母が昔ラーメン店を切り盛りしていた頃の話を一緒に思い出す中で、母らしい姿を受け入れられるようになり、病室では笑いが絶えませんでした。
母の最期の日、私たち家族は泊まり込んで見守りました。深夜、母の状態が悪化し、最期を迎えるその瞬間までそばにいることができたことは、私たちにとって大きな慰めとなりました。母が息を引き取った後、スタッフの皆さんが葬儀社の車列をお見送りしてくださった姿を見た時、この施設の温かさと母への思いを改めて感じ、胸がいっぱいになりました。
母が亡くなった後、私たち家族は一時ラーメン店を休業しました。再開にあたってSNSで感謝の気持ちを伝えたところ、スタッフの方がその投稿を見つけてくださったそうです。母を支えてくれたアルファリビングの皆さんには、言葉では言い尽くせない感謝の気持ちでいっぱいです。
母の最期を家族とともに過ごせたこと、そして愛情あふれるケアを受けられたことは、何よりの幸せでした。これからも母の思い出と共に、私たちは前を向いて歩んでいきます。アルファリビングの皆さん、本当にありがとうございました。
ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。